中島飛行機が生んだ日本戦闘機の最高峰と言える。コンパクトにまとめた2000馬力の誉エンジンは当時の質的に大幅低下した燃料では十分な性能が引き出せたとは言いがたいが、日本が勝利していたら、エアショーではP51の代わりにこの疾風が舞っていたかも知れない。
小山技師らしい主翼平面形は前縁が直線で設計は隼の血統を受け継いでいることを示しているが97戦や隼もつ軽戦の虚弱なところも、飛燕のように液冷エンジンのデリケートさもなく、しっかりとした骨格でバランスの取れた美しいシルエットは当時においても大東亜決戦号と期待されただけのことはあり非の打ち所がない。
FRANKの愛称が与えられ、連合軍からの評価も日本戦闘機中もっとも高く、140オクタンの燃料を使った戦後のテスト飛行では689km/h(@6100m)の最高速度を記録するなど、太平洋戦争に投入された2000馬力級の空冷戦闘機中では世界一優秀な戦闘機であったろうと思われる。
海軍が太平洋戦争全期間を通じてゼロ戦とその改良型で戦わねばならなかったのと比べると陸軍の戦闘機は年毎に進化していた。アメリカのチノでフライアブルな疾風が復元され、日本でデモフライトをした後、返還されたが、それっきり飛ぶことはなかった。
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