2011年5月28日土曜日

模型屋



昭和の時代。地方の都市でも街に行けば模型屋というものが1軒や2軒はあった。
そして店の奥では仏頂面の親父が店番をしていたりするものだった。
そこにはプラモデルから、ラジコン、塗料、科学教材、バルサや竹ひごといった素材までが小さな店内に所狭しと置かれ、棚に詰まれたプラモデルの箱を見上げたり、床にしゃがみこんで部品を手にとったりしながら少年たちの目は輝いていたものだった。
きょうびの子供たちがプラモデルを作る姿は、ほとんど見かけない。少年の遊びとしてのプラモ作りはゲームやパソコンに押され、プラモデルは昔を懐かしむ大人のものになっているように思える。
こうして愛好家が減って生産数が少なくなったことで、ますますマニア向けに進化したことで高価になった。
今では1/72の航空機でさえ千円単位だが、昭和40年代はレベルの飛行機でも¥100のワンコインで買えたのだ。
普通は百円玉を握り締めて、こうした買い物をしてくるのだが、そのころプラモデルの田宮模型は何をしていたかというと戦車のトップメーカーだった。ような気がする。
どうしても我々の世代には、国産プラモで飛行機はハセガワ、戦車はタミヤという色分けがあるのは、あの頃の記憶によるのだろう。
そして戦車と言えば、なんといってもドイツである。リモコンのタイガーⅠ型は高嶺の花であったが、持っていると戦争ごっこのヒーローであった。
 
 

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