2011年5月18日水曜日

FFファミリア


なんとか食べられるようになった戦後の日本で、経済復興を支えたのは、マイカーへの強い憧れでありマイカー取得への強いモチベーションであったのではないだろうか。
クルマ、カラーテレビ、クーラーいづれもそれまでは庶民の手の届かないものが大衆化し、さらにはパーソナルになっていった。
しかしボクが子供の頃の車は今のようなFF車全盛ではなかった。
リアエンジン車もあったが、その多くはフロントにエンジンを置き、プロペラシャフトを介してリア・アクスルに動力を伝達、後輪を駆動するという、いわゆるFR車が乗用車の標準であった。
こうすることで、重量バランスを適正に調整できたし、プロペラシャフトの通るトンネルは車体の縦曲げ強度を高めるのにも役立った。
しかし、昭和の時代も進み、ファミリーカーが広く普及し出すと、国民の趣味も多様化、乗せる遊び道具も増えてコンパクトな車体にスペースユーティリティが求められる時代になり、駆動系をすべて前部に集めたことでバッゲージスペースを有効に使えるFF車がファミリーカーの主流の座を奪っていった。
このFFファミリアも、そのユーザーニーズを的確にとらえて、よく売れた車だった。デザインも2ボックスになり広く開くリアゲートは新しい時代への扉のように感じられた。
このパンフレットを見るとFFファミリアにはトランクルームをもつ3ボックスタイプのままのFFもあったようだが、当時、目にしたのは圧倒的にFF2ボックスのファミリアであった。
以降、FFが大衆車の標準になってしまうのだが、重量バランス的には頭が重く、タックインというFF車独特のステアリング特性は走り屋からは嫌われ、彼らは希少になりつつあるFR車を選んで乗る少数派へとなって行くのであった。
 
 

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