2011年5月14日土曜日

大きいことはいいことだ



気球に乗った山本直純がCMに出ていた森永のエールチョコレート。
そのときのコピーが”大きいことは、いいことだ。”だった。50円で買えるチョコレートが、このくらい大きければ文句ないだろう、といった調子だ。
そう、戦後昭和の時代は太平洋戦争の敗戦によって短小コンプレックスのあった時代だと思う。
アメリカに負けたのも大量の物量とともに、その大きさにであった。
九七戦車とM4シャーマン戦車では、大人と子供ほどの違いがある。ゼロ戦と比べるとヘルキャットなど化け猫に近い大きさだ。
そもそも人間自体のつくりからして日本人は欧米人に比して、背は低く、鼻ぺチャで、足は短くといった特徴をネガティブに感じていた時期であり、スマートで大きいものへの無意識的な憧憬が根底にあったように思う。
サニーの”隣の車が小さく見えます”は有名なコピーであるが、そのころ正常進化の方向性とは大型化だったのだ。
それまで家庭になかったものが手に入るというだけで子供はおろか大人たちも有頂天だったころ、消費財という考え方も廃棄にかかる費用などもおよそ頭にはなく、テレビもステレオも車も大きいほど格が上で高級と思われていた時代だったのだ。
翻って平成の世では、恐竜のように大きくて鈍重なものは嫌われ、軽薄短小が好まれる時代に入っている。
そこには、工業製品においてもコンピュータの発達により、肉弾戦の物理的な戦いから、高度な情報戦へとシフトした価値観があった。
機能が同じならば小さく軽い方が、優秀。デカくて重いのは小型化への努力の怠慢であり、資源の無駄食いという烙印になっていったように思う。
レアアースなどの枯渇する希少な資源でいかに効果をあげるかが求められ、パソコンの世界でも電気の流れる距離を縮め速度を上げるには小型化が必須だったCPU、そしてメモリもHDDもいかに同じ大きさで記憶容量を増すかが勝負である。
世の中は殴り合いの喧嘩の強さではなく、いかに機能をコンパクトに凝縮するかに血道をあげる世界へとシフトしたのである。
今、技術は進化し、この進化の方向性である軽薄短小化を阻んでいるは、実は人間そのもののサイズだったりする。重たい人間は航空機や車の燃費を低下させ、太くて、でかい男の指はキーボードの小型化を阻んでいるのだ。重厚長大コンプレックスが欧米人に蔓延している・・・というのは嘘だけど、あまり短小を気にしなくても良い世の中になったかも知れない。
  
 

0 件のコメント: