2011年5月16日月曜日
ロマンポルノ
お茶の間に家庭用テレビが普及する以前の大衆娯楽と言えば、映画であった。
同様な観点で考えると、家庭用ビデオデッキが普及し、アダルトビデオが氾濫する以前のポルノと言ったら映画館で見るこうした成人映画だった。
女の裸を見たいというスケベ心があっても、ストリップに行くほど勇気はない。そんな一般男性にとってはストーリー性もある映画という表現手段を用いたポルノ映画は、テレビで放送できない性的欲望を満たすコンテンツとして魅力を持っていた。
以上が日活ロマンポルノの本質であり、銀幕のスターという言い方も消滅し、テレビに娯楽の王座を奪われつあった映画が生き残りをかけてとった1つの戦略であったのだろう。
消費者である男にとって見れば、あまりストーリーの重要な映画としてよりも、誰の裸が見たいかで選んでいるに過ぎなかったのだが、演じる女側にとってみればポルノ女優であっても女優であるとの自意識に変わりはなく、将来は脱がない女優になるための名前を売るワンステップとして選んでいるようなところもあったように思う。
美穂じゅんも日活ロマンポルノ出身だから、脱いでもすごいのだが、性格があっけらかんと明るすぎてポルノに期待される卑猥さや背徳性に欠ける部分があった。これが逆に大衆受けする素養として普通の女優に抜擢され、タコ社長の娘寅さんにまで出演していたから、彼女が裸が売りのポルノ女優から脱裸への女優転進コースの前例をつくってしまったともいえるのだろうか。
そしてこのロマンポルノもビデオデッキの普及に大きな役割を果たしたといわれるアダルトビデオによって需要を失い、全盛時代を終えることになる。
裸のコミュニケーションも個から個への分散型のメディアへととって替わられる宿命のようだ。
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