国産初のジェット練習機。それまで後退角なんて、複葉機で重心を調整するためのものくらいに思っていた(?)日本人が遷音速領域に挑戦するためのツールとして積極的に使ったはじめての飛行機といえるだろうか。
ライセンス生産を行っていたF86の影響は強く感じるものの、至るところに空力センスに優れた日本人の細やかさも感じられる。一度も重大な事故を起こしていないのも優秀な機体であったことの証左といえるだろうか。
翼には後退角で生じるアウトフローを抑えるためのバウンダリーレアフェンスが取り付けられており、比較的浅い後退角もあって翼端失速傾向は顕著なものでなかっただろうと想像される。
F86と違い、お口が横に広く、一本歯が生えているのも特徴だ。
F86と違い、お口が横に広く、一本歯が生えているのも特徴だ。
富士重工で設計を担当したのは、往年の名機、彩雲などの設計に関わり、戦後は同社のFA200エアロスバルの設計者としても知られる内藤子生氏であった。
主翼より大きな後退角のついた水平尾翼は、主翼がショックストールを起こした後も安定・操縦を確保するという氏の考えによるものだ。
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