しかし、この隼、陸上戦闘機であるにも関わらず、ゼロ戦よりも翼面荷重の低い軽戦である。
しかも主翼は3本桁構造を用いているため、主翼に大口径の武装は装備できず、胴体に装着した7.7ミリや13ミリでは、防弾の厚い米爆撃機相手では蚊がさした程度だったと思われる。
それに対して、二式戦闘機は当時の日本の戦闘機としては思い切って翼面積を切り詰め、速度と上昇力に主眼をおいたインターセプターだった。
爆撃機相手に戦えるのは、隼ではなく、この鍾馗のような機体であっただろう。
要は、陸軍では97戦、海軍では96艦戦で得た成功体験が、次世代の戦闘機に対する判断を鈍らせてしまったような気がするのである。
巴戦で強い戦闘機に固執しすぎた結果が低翼面荷重偏重になり、この鍾馗に対する評価を厳しいものにしたのではないだろうか。だが、ちょっと日本機らしくないこの小さな主翼と大出力のエンジンの組み合わせこそ、設計思想としてはクリアで有名な”隼”よりも名機の素質があったと言えるだろう。