2011年6月25日土曜日

刑事コロンボ


ビバリーヒルズの自宅でピーター・フォークが亡くなったそうだ。
日本人にとってピーター・フォークと言えば、すなわちロサンゼルス警察のコロンボ警部というくらい、彼を印象付けたテレビドラマが刑事コロンボであった。
そして、この番組も昭和の時代の懐かしいテレビ番組だったと言って良い。
最初のシリーズは1972年から1979年の間に、放送されていたと記録にあるから、確かに、あの甲高いテーマ曲で始まる刑事コロンボは、一時期、毎週、楽しみにしていた記憶がある。
ヨレヨレのコートを来て、葉巻を片手に、ボロ車に乗り殺人現場に登場する、ピーター・フォーク演じる刑事コロンボは、それまでの刑事のイメージとは、かなりかけ離れていた。
颯爽とスーツを着て、急ブレーキ音とともに、パトカーや覆面者で現場に駆けつける石原軍団とは異なり、風采の上がらぬ殺人事件の現場には場違いな人、それがロサンゼルス警察殺人課コロンボ警部のいでたちであった。
しかし、ひとたび捜査に入るや、彼のこうした冴えない風体は、実は鋭いツメを隠すための隠れ蓑であることを知るのだ。
視聴者は番組のしょっぱなから、あらかじめ犯行の一部始終を見せられているから、彼の推理は実に的を射た見事なものに映り、この冴えない風采の男が、ステータスもあり経済的に成功している犯人に対して質問責めにして追い込んで行く様は、まさにフェラーリも庭にプールも持たない日本の視聴者にとっては精神的なカタルシスでもあったのではないか。
ノラリクラリのコロンボの質問にも最初の頃は、余裕で対応していた犯人も、やがては追い詰められ、態度を荒げて行くという筋書きは毎回、変わることはない。
こうした画一的なストーリー展開にも関わらず、毎週、見たいと思ってしまう魅力が刑事コロンボにはあったのである。
やっつける相手は悪代官とセレブという違いこそあれ、きっと刑事コロンボはアメリカ版の水戸黄門なのではなかったのだろうか。
多くのアメリカ人はどう見ていたのか、定かでないが、小池朝雄の吹き替えも見事で、うちのカミさんがね・・・という口癖や、聞き込み捜査の帰りがけに、1つ忘れてました~と戻ってくる、犯人にとって、いらだつシチューエーションをうまく演じて当時、これをパクったコントも多かった。
また、あの独特な刑事のやぶにらみは、片目が義眼だったというピーター・フォークのキャラがぴたりとはまっていた適役といえるだろう。コロンボ警部以外には映画グレートレースに出ていたことくらいしか、私は知らない。だから彼はピーター・フォークでなくてコロンボ警部でいい。そう思う。
 



 

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