2011年6月8日水曜日

脱脂粉乳

 
 
大体、ジェネレーションの似ている昭和世代の人々がジョッキを合わせ、年代のお話になると、リトマス試験紙のように使われるのが脱脂粉乳の話題だ。
その中で、ひとり、「私は最初から牛乳だったもん」とか言い出せば、「嘘つけ~!」の大合唱が始まったりもするのである。
そうなのだ、あの戦後間もない昭和30年代、米軍から支給されていたのかどうか定かでないが、小学校の学校給食の場には必ず登場し、写真のように鈍く光るアルマイトの食器に入って出てきては、児童を苦しめたものなのである。
なんと行ってもその独特のにおいが強烈で、風味などあったものではない。おまけに表面に薄膜が張っていてふーっと吹けばシワがより、飲むと口の周りに白い輪が出来た。今だったら家畜にさえ見向きもされないに違いない。
しかし、当時の日本は栄養状態も十分ではなく、戦時の飢餓を乗り越えてきた後だけに、食べ物を残すなんてトンデも・・・とばかりに、すべて飲み干すことを当時の文部省は強制していたのであろう。普段、優しい教師の教室でも残すことは許容されなかったのである。
この頃の校内での状況は、宮崎駿のアニメ映画”おもひでぽろぽろ”の中にも登場するが、やむなく児童たちは鼻をつまんで一気に飲み干すという最終手段を編み出し、日々、実践するしかなかったのである。
しかし昭和も40年代に入ると白い悪魔はどこかに消えうせ、普通の牛乳に変わった。ビンのぶつかり合うガラスの音に、ようやく塀の中から出されたような自由の風を感じたものである。
地域によっては、ビンのところとテトラパックのところがあったようで、これでもまた曖昧な記憶の中で、意見を戦わす昭和世代なのであった。
 
 

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