2011年10月8日土曜日

Think Different



有史以来、もっとも歴史的な果実はリンゴだった。かも知れない。
蛇にそそのかされてリンゴを食べて以来、われわれ人類は、楽園を追放され、さまざまな苦悩にさいなまれることになった。
もっとも自然な生まれたままの姿であるにも関わらず浅田奈美のような奔放な裸体は、日の当たる日常生活の表舞台からは抹殺され、日陰ではエロ雑誌に掲載されて100万人のオナペットとなる運命だったのだ。
しかも、ここでも国家権力とアートのボーダーで核心部分を握っていたのは、ほかでもない歴史的果実であるリンゴだったのだ。
そしてリンゴの落下を見たニュートンは万有引力を思いつき、リバプールに出現したリンゴ・スターとその一味はクラシカルな既存の音楽を破壊した。
こうして運命のリンゴはいろいろなものを破壊すると同時に、時代ごとに、さまざまなものを作り出す。
リンゴをひと齧りしたために、裸はご法度になったものの、インドを旅した一人のリンゴ好きの青年の存在によって人類は革新的なコンピュータを手にすることになるのだ。
その名もアップルコンピュータ。
ジーンズを履いたリンゴ好きな青年は、あるときHPで働く生真面目な天才スティーブ・ウォズニアックと出会い、それまで個人とはかけ離れた存在だったコンピュータを身近なものへと変革した。
それまで公共の建物と一体化した構造物であったコンピュータを机の上における家電製品に仕立て上げた。その名もマッキントッシュ、それはリンゴの品種名であった。
そして、このリンゴは、立ち枯れしそうな危機も乗り越え、世界を巻き込みながら既存の文化を再発明していったのだった。
リンゴの持つ力を信じて人類に示唆を与え続け、自らは何も作らずにすべてを作ってしまった神、それがスティーブ・ジョブスであったというのは言いすぎであろうか。
現世ではiGodだった彼にも、いよいよ本当の神の世界へと旅立つときが来たようだ。否、禅の好きだった彼のことだ。スピーチの予見どおりにやってきた最期の時を迎え、神様から仏様になったというべきかも知れない。
若い肉体も、そして卓越した才能も人は必ず死によって最期のときを迎える。すべてを知っているリンゴは、これから何を破壊し、何を生み出すのだろうか。



2011年9月26日月曜日

沖縄の夏、設楽りさ子の夏




むかし、むかし遠く沖縄には南西航空という航空会社がありました。
本土復帰も今はむかし、平成の世にあっては、あからさまにJALの傘下として鶴丸をつけ、日本トランスオーシャン航空に改名、JTAの略称で呼ばれておりますが、かつて、その独特なオレンジ色主体の機体塗装は、南国沖縄を飛ぶ翼に相応しいトロピカルな仕様でございました。
B737のオーバーヘッドビンに手の届かない小柄なCAが、専用ツール”孫の手”を使って、頭上の収納を開けていた、おぼろげな記憶がございますが、あれは幻だったのでしょうか。
そして、特筆すべきことに、この機内誌のコーラルウェイが、ございました。
親会社のJALの面白くもおかしくもない機内誌を尻目に、青い空、白い砂浜に椰子の葉・・・エキゾチックな魅力を放っておりました。
日本復帰はしたものの、まだ、いたるところに米軍統治時代のかの地独特の風情を漂わせ、珊瑚でできたまっ白い砂浜にはビキニのお姉さまたち飛び跳ね、マリンレジャーを楽しむイメージが、たくさん登場していました。国内では天国に一番近い島、そうした刷り込みがなされた瞬間でありました。
この表紙などは、なんと、もとキング・カズの奥様だった、設楽りさ子嬢であります。
海からあげた網には、持ち上げられないほどの獲物が・・・カタもなかなかのアカジンミーバイでしょうか。
遊びで捕る魚にしては値段も高いお魚たちで、ニコニコ写真撮ってないで、鮮度の高いうちに市場へ・・・というお馬鹿な心配までしてしまいそうですが、ナイスバディな設楽嬢が、水着で漁業をしている構図はまことに新鮮で、海草を持って写った松坂慶子嬢を彷彿する衝撃映像でございます。
このコーラルウェイ、当時は、搭乗客へのサービスとして自由に持ち帰れたため、南西航空の利用者の部屋には大体、コーラルウェイが揃っていたものであります。
今では有料になり、紫外線に肌を焼かない当世の世相から露出度の高いビキニのお姉さまはすっかり姿を潜め、男性諸氏にとってはやや物足りなさを感じないわけではありませんが、鶴丸復帰で、JAL化する社内でも、異彩を放ち地域の話題を扱う貴重な資料として、今日でもCORALWAYは続いております。オニヒトデに食われることなく、今後も死守していただきたい機内誌でございます。




2011年9月13日火曜日

怖いものみたさ・・・



だ~れもいない海 二人の愛を確かめたくって~~♪と可憐に17才をうたっていた南沙織も調べてみれば1554年7月2日生まれ。なんと、57歳ということになる。
篠山さんの奥さんになってから、芸能界からは引退、その後の彼女を見てないので、僕のイメージの中では、17才の時の彼女のままだ。埋められない40年の歳月がそこにはある。
でもこの人、芸能界に居たときから自分の世界をしっかり持った人という印象であったから、あまり変わらないのじゃないかと思う。
どことなく女優で言うと、冒険者に出ていたジョアナ・シムカスのような雰囲気があるのだ。それは、それで誰だか分からぬ世代にとっては、ちっとも説明にもならないと思うのですが・・・
もう沖縄と聞いて、南沙織とかフィンガーファイブを思い浮かべる世代は、みんなお爺、お婆になっているという冷厳な事実。
知らぬが花かもしれないが、思い出として変わらぬ可憐なイメージを残している南沙織の居る一方で、かなり変貌した姿を見てしまった同時代の天地真理。彼女も今年で還暦になるなんぞと聞くと、そんなにみんな歳を経たのかと、自分も思わず鏡で確かめてしまうのだ。確かに埋められない40年の歳月がそこにはある。
高齢化社会とは言え、還暦アイドル大集合は怖い企画で、究極の衝撃映像とならないことを祈るばかりである。

2011年8月28日日曜日

ピーター・ノースの物量作戦




刑事コロンボがピーター・フォークだということを知っている人は多いが、ピーター・ノースで、”むふふ”と思わずニヤついてしまうのはエッチな男たちだけなのではないのだろうか。
いくらインターネットの時代とは言え、彼の名前が一般的だったら怖い気がする。
ピーター・ノース自身は平成の時代に入っても、さしたる衰えを見せずに活躍しているAV男優らしいけれど、昭和の時代に彼の裏ビデオを見た人は、日米の圧倒的格差を知って愕然としたものだった。
こんな人種と戦争しても勝てるわけがない、と。
しかし、AV男優である彼の最大の武器は巨根ではない。
貪欲な米ポルノ女優を悶絶させる立派なそれも、日本人にとって十分に脅威ではあるのだが、真のすごさは精液の量である。
日本人のそれが三八式歩兵銃だとしたらM16などではない、彼のは、まさに20mmバルカン砲の威力に匹敵する。
圧倒的な射程、発射量そして連続発射能力は、馬並みというに相応しかった。
太平洋戦争においてもかの国の圧倒的な物量は精神力で戦う日本軍を南方の島々から駆逐していったが、工業製品の量であれば資源や国土の広さからして説明もできよう。
しかし、なぜ同じ人類と交尾をするピーター・ノースがこれほどの精液量を放出できるのだろうか。
思わずフェイクでは?本物なら別の生物に分類すべきでは?と勝手なことを思ってしまうのだが、不幸にしてフェイクでも人類以外の生物でもないらしい。
もっとも業界では”世界で一番、精液を浪費する男”との称号を得ていると聞いて、ピーター・ノースが米国男子を代表するわけでもないのを知り、ちょっとホッとしたりもするが、相手の女優の顔を飛び越え精液が白線になって連続射出される光景は、圧巻でピーターフォークとはまた異なる才能として、人類の遺産ではないだろうか。
果たして演習に惜しげもなく発射される彼の実弾が種族反映につながった例が何件あったのだろう。
なぜ、ピーター・ノースを思い出したかというと、最近、”ピーター・ノースの祝福”という本があることを知り、よほどマニアックな本なのかと思ったがきっかけだった。
中身はけして彼の自伝ではないようだが、いろいろな話題のトリガーとして、著者の渡辺やよいは書名に彼の名を使ったのではないだろうか。
ブックカバーはピーターノースのそれなのだろうか?満ち足りた女性の寝顔の向こうに、キノコが並ぶおもわせぶりなものである。
これでピーター・ノース談義が女性の間にも広がることを畏れつつも期待したいものである。



2011年6月29日水曜日

中山律子

 



昭和の時代、家族のスポーツだった、ボーリング。
流行っていた当時は、日曜日など2時間待ちなど当たり前という状況だった。
空いている時間帯を狙って早朝ボーリングなども流行ったこともある。
そして日曜にはボーリング番組のテレビ放映もあり、美しきチャレンジャーなる新藤恵美の主演するスポ根ものの、ドラマまであった。
そして、あの当時、女子ボウラーとして活躍していたのが中山律子だった。
彼女は須田開代子や並木恵美子らといったルックスそこそこの実力派とともに、実力と美形を兼ね備えた稀有の存在として、もてはやされ、他のボウラーがレーンでしか脚光を浴びないのに対しシャンプーのCMなどにも起用されていた。
当時は、先輩の須田などにはいじめられてだであろう美形の律子さんは、女の世界でお姉さまにいじめられるかわいそうなシンデレラという位置づけだったと思うが、最初にパーフェクトゲームを達成するなど、美人であるだけではなく、ボウリング界を牽引するスタープレーヤーだった。
今ではボーリングというとかなりマイナーなスポーツで、マイボールやマイシューズで現れて、隣のレーンでストライクにハイタッチなどする賑やかな若者には、わき目も振らず淡々とフォームのチェックなどをしながら、黙々と投げているボウラーは、ネクラという印象以外持たないかも知れないが、一時期、ボウリングは国民的スポーツとしてメジャーな位置づけだったのである。
 
 
 

2011年6月25日土曜日

刑事コロンボ


ビバリーヒルズの自宅でピーター・フォークが亡くなったそうだ。
日本人にとってピーター・フォークと言えば、すなわちロサンゼルス警察のコロンボ警部というくらい、彼を印象付けたテレビドラマが刑事コロンボであった。
そして、この番組も昭和の時代の懐かしいテレビ番組だったと言って良い。
最初のシリーズは1972年から1979年の間に、放送されていたと記録にあるから、確かに、あの甲高いテーマ曲で始まる刑事コロンボは、一時期、毎週、楽しみにしていた記憶がある。
ヨレヨレのコートを来て、葉巻を片手に、ボロ車に乗り殺人現場に登場する、ピーター・フォーク演じる刑事コロンボは、それまでの刑事のイメージとは、かなりかけ離れていた。
颯爽とスーツを着て、急ブレーキ音とともに、パトカーや覆面者で現場に駆けつける石原軍団とは異なり、風采の上がらぬ殺人事件の現場には場違いな人、それがロサンゼルス警察殺人課コロンボ警部のいでたちであった。
しかし、ひとたび捜査に入るや、彼のこうした冴えない風体は、実は鋭いツメを隠すための隠れ蓑であることを知るのだ。
視聴者は番組のしょっぱなから、あらかじめ犯行の一部始終を見せられているから、彼の推理は実に的を射た見事なものに映り、この冴えない風采の男が、ステータスもあり経済的に成功している犯人に対して質問責めにして追い込んで行く様は、まさにフェラーリも庭にプールも持たない日本の視聴者にとっては精神的なカタルシスでもあったのではないか。
ノラリクラリのコロンボの質問にも最初の頃は、余裕で対応していた犯人も、やがては追い詰められ、態度を荒げて行くという筋書きは毎回、変わることはない。
こうした画一的なストーリー展開にも関わらず、毎週、見たいと思ってしまう魅力が刑事コロンボにはあったのである。
やっつける相手は悪代官とセレブという違いこそあれ、きっと刑事コロンボはアメリカ版の水戸黄門なのではなかったのだろうか。
多くのアメリカ人はどう見ていたのか、定かでないが、小池朝雄の吹き替えも見事で、うちのカミさんがね・・・という口癖や、聞き込み捜査の帰りがけに、1つ忘れてました~と戻ってくる、犯人にとって、いらだつシチューエーションをうまく演じて当時、これをパクったコントも多かった。
また、あの独特な刑事のやぶにらみは、片目が義眼だったというピーター・フォークのキャラがぴたりとはまっていた適役といえるだろう。コロンボ警部以外には映画グレートレースに出ていたことくらいしか、私は知らない。だから彼はピーター・フォークでなくてコロンボ警部でいい。そう思う。
 



 

2011年6月11日土曜日

ベレG

 
 
いすずという会社はダンプやエルフなどのディーゼルエンジンを得意としたトラック専門のメーカーにも思えるのだが、かつて乗用車も作っていた。最終生産の乗用車であるFFジェミニなどは1987年までだからほとんど昭和の終わりごろまでは生産していた。
そして本来のトラックを作る実用的な設計哲学は、乗用車においても独特なクルマづくりを行っていた。
商売もなんかちょっと変な会社という印象で売れなかったベレルの焼き直しかというフローリアンをジウジャーロデザインの117クーペと一緒に発表し、117のセダン版みたいな位置づけだったような記憶がある。
本当に必要な車を考えたらこうなったという技術者の真摯な姿勢は高く買うのだが、117クーペに羨望のまなざしを向けても、家は家族4人だからフローリアンを買うなどという家庭はおそらくなかったはずである。
そしてベレットもまた他に似た車を探しても見当たらない独特なスタイルをしていた。
どこかずんぐりむっくりでグラマンや雷電の雰囲気をもっていた。
そして写真のベレットGTは4ドアセダンをベースに2ドア仕様のスポーツタイプに仕上げたものだと思うのだが、当時、運転免許もなかった自分にとっては、見てあこがれるだけの存在だった。
スタイルだけではなく横置きのリーフスプリングを使うなど、おそらく走りも独特だったはずなのだが運転できる年頃には、すでにベレットGTは世の中でも希少車になっていた。
このボンネットを黒に染めた塗装も当時、レースカーなどで太陽反射による防幻対策としてよく使われており、カッコ良かったのである。スカGは知ってても、ベレGは、もはやあまり知る人の少ないマニアックなクルマだと思う。