2011年8月28日日曜日

ピーター・ノースの物量作戦




刑事コロンボがピーター・フォークだということを知っている人は多いが、ピーター・ノースで、”むふふ”と思わずニヤついてしまうのはエッチな男たちだけなのではないのだろうか。
いくらインターネットの時代とは言え、彼の名前が一般的だったら怖い気がする。
ピーター・ノース自身は平成の時代に入っても、さしたる衰えを見せずに活躍しているAV男優らしいけれど、昭和の時代に彼の裏ビデオを見た人は、日米の圧倒的格差を知って愕然としたものだった。
こんな人種と戦争しても勝てるわけがない、と。
しかし、AV男優である彼の最大の武器は巨根ではない。
貪欲な米ポルノ女優を悶絶させる立派なそれも、日本人にとって十分に脅威ではあるのだが、真のすごさは精液の量である。
日本人のそれが三八式歩兵銃だとしたらM16などではない、彼のは、まさに20mmバルカン砲の威力に匹敵する。
圧倒的な射程、発射量そして連続発射能力は、馬並みというに相応しかった。
太平洋戦争においてもかの国の圧倒的な物量は精神力で戦う日本軍を南方の島々から駆逐していったが、工業製品の量であれば資源や国土の広さからして説明もできよう。
しかし、なぜ同じ人類と交尾をするピーター・ノースがこれほどの精液量を放出できるのだろうか。
思わずフェイクでは?本物なら別の生物に分類すべきでは?と勝手なことを思ってしまうのだが、不幸にしてフェイクでも人類以外の生物でもないらしい。
もっとも業界では”世界で一番、精液を浪費する男”との称号を得ていると聞いて、ピーター・ノースが米国男子を代表するわけでもないのを知り、ちょっとホッとしたりもするが、相手の女優の顔を飛び越え精液が白線になって連続射出される光景は、圧巻でピーターフォークとはまた異なる才能として、人類の遺産ではないだろうか。
果たして演習に惜しげもなく発射される彼の実弾が種族反映につながった例が何件あったのだろう。
なぜ、ピーター・ノースを思い出したかというと、最近、”ピーター・ノースの祝福”という本があることを知り、よほどマニアックな本なのかと思ったがきっかけだった。
中身はけして彼の自伝ではないようだが、いろいろな話題のトリガーとして、著者の渡辺やよいは書名に彼の名を使ったのではないだろうか。
ブックカバーはピーターノースのそれなのだろうか?満ち足りた女性の寝顔の向こうに、キノコが並ぶおもわせぶりなものである。
これでピーター・ノース談義が女性の間にも広がることを畏れつつも期待したいものである。